今年の7月30日でサロンをオープンして12年目をむかえ、13年目に突入します。
その時期に何かキャンペーンかなんらかの企画を考えているのもあり、また改めてサロン運営に対して見直しをはかるために、顧客のデータを見直しています。
すると…顧客カルテを見ていくうち、様々なお客様との出会いを思い出しました。
長くリピートしていただくために…
現在もまだ通って頂いている方、またはしばらくはお見えでない方など、カルテからいろいろな事が見えてきたりします。
うちはリピート率が高い事を誇っていましたが、それでも何人かの方は、一回や二回でそれっきりの方も正直いらっしゃいます。
長くいらしてくださる方は、やはりご縁が深い方で、そうでない方はご縁がないということを、長くやっていると感じてきます。
でもご縁をつなぐのもやはり、わたし次第とでも言いますか…。
長くリピーしていただくのは、一番はセラピストとしての「人」であり…
その次に満足のいく接客や満足のいく技術サービスがあってのこそなんだと思います。
セラピストは、人の肌に触れる仕事なので、私達は相手に与える波動が良くないと、触れられた相手にその影響を及ぼしてしまいます。
なので、セラピストも体調管理がとても大切になりますし、またメンタルの状態も管理が必要になると感じています。
そして経験から、一人ひとりのお客様を満足に導き、リピートにつながっていくように感じます。
セラピストとして大切なこと
私が代表理事をしている、一般社団法人JPN美容矯正セラピスト協会のセラピスト資格の要項には、セラピストとして大切なこと。として以下を掲げています。
JPN美容矯正セラピスト協会が考えるセラピストとして大切なこと
それは自分は「どんなセラピストになりたいか」です。自身がセラピーを受けるのもそうですが、日々の生活の中で「自分の好き」を大切にし、自分らしい世界を広げていくことで、あなただけのセラピー像が形成されて行きます。世間のニーズやブームに左右されず、出来ることなら、自身が心から納得ができて腑に落ちるセラピーに出会っていただくことが最も大切のことと考えます。それには「多くの経験」をする事。
多くの経験を積むことで、やりたいセラピーや理想のセラピスト像がわかることと思います。変化に多いこの時代です、コアな部分をしっかりと築きながら、柔軟に変化していくことが、セラピストとしての成長に繋がります。
「経験」が邪魔をする…。そう言われる方もいます。
それは「ひとつの事にとらわれ過ぎて、そのために新たな分野を広げることに二の足を踏み、チャンスを逃してしまう」ということらしいのですが、新たな分野を広げる前には、先ず目の前の事を自分で、ある程度は納得いくまでやってみることが必要です。
日々の生活の中で「自分の好き」を大切にし、自分らしい世界を広げていくこと。
すると、あなただけのセラピー像が形成されていくわけで…。
目の前のやるべき事を納得がいかないままやっていると、世間のニーズやブームに左右されてしまいがちになります。
出来ることなら、自身が心から納得ができて腑に落ちるセラピーに出会っていただくことが最も大切なことと考えます。
自分のセラピー像を形成する
セラピー像を形成するには、多くの経験をすること。多くの経験とは、あれもこれもではなく、目の前の今やるべきことの枝葉になることの経験を積むっていう事なんです。
例えば、パン屋をやっていてそのパン作りにつまずいたからといって、八百屋さんになるのではなく、パン屋にまつわる枝葉のことを追求してみるわけです。
この場合あくまで、パン職人が根底にあり、パン職人ありきの話です。
なので、もうパン職人をあっさり諦める場合は別の話になります。
話はセラピストに戻りますが…
そのセラピストとして多くの経験を積むこと。
するとやりたいセラピーや理想のセラピスト像がわかるようになります。
変化が多いこの時代、コアな部分をしっかりと築きながら、柔軟に変化していくことが、セラピストとしての成長に繋がるというわけです。
先日フェイスブックで、あるセラピストの方が施術に限界を感じて、現場から引退をされるという記事をアップされていました。
これからは指導する側に専念していくと言われていましたが、セラピストは年齢制もありませんし自営でやる分には定年がありません。
なので、引退は自身できめなければなりません。
体を施すセラピーに関しては、現場でやる分はある程度は体力がいる仕事です。
ですがセラピストの年齢が上がればやり方次第で「セラピー像」を柔軟に変えることができます。
なので、いつまでもできる職業だと思います。
私自身も、数年後に向けていろいろ柔軟に変化しようと考えています。
そういう意味で、本当の意味で前に進むためには、進む方向性(自分の在り方像を知るため)には、あえて前に進むだけではなく…
時には振り返ってみるのも必要ではないかと思うのです。